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    朝の空



    寒いけれど鳥達が楽しそうに空を飛び回る爽やかな朝。
    富士山の前の大山はまだ紅葉しているようです。
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      安齋 肇 MERRY/HAPPY



      安齋 肇さんの展覧会「MERRY/HAPPY」
      LOVEがいっぱい!



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        寄のマイクロ水力発電実験プロジェクト

        寄のマイクロ水力発電実験プロジエクト

        神奈川の松田町寄(「やどりき」と読みます)の「寄のマイクロ水力発電実験プロジェクト」で立体造形作家の齋藤史門氏が水車で動力を作りイルミネーションを点灯させる、総制作費25,000円の「寄原始力発電所一号櫓」なるものを作ったというので見てきました。
        寄の奥の奥にある窪んだ小川に設置されていて、陽が沈むとLEDイルミネーションが周りを不思議な光で照らしています。
        水の流れとモーターの規則正しい音に引き込まれる不思議な空間でした。

        11月30日から12月9日の15:30から19:30まで足柄上郡松田町寄宇津茂地区で見ることができます。

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          半影月食



          昨夜は「半影月食」なるものだったそうで。
          見た目より、写真に撮った方がよくわかりました。
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            三陸 田老地区

             

            何度も大津波に襲われ、総延長約2.4km、高さ10mの防潮堤がある宮古田老地区。11月の初旬に私は震災の被災地を初めて訪れました。震災時は防潮堤を遥かに越える津波に襲われ、死者、行方不明者が200名近い大惨事に。
            これはその防潮堤の上から田老地区を見渡したもの。
            防潮堤をはさんで写真右側が海。頑強と思われた防潮堤も全く役にたたなかった津波のすごさ。
            海の近くに番屋が建てられてる以外、町の中はほとんど真っ平らのままの状態でした。


            海側の防潮堤は約500mにわたり崩壊。町の中にこつ然と廃墟のように防潮堤の扉だけが何カ所か残ったままになっています。周辺の住居だった空き地には大量のテトラポットが置かれていました。



            防潮堤の内側、野球場のあったあたりでしょうか。その痕跡が跡形もなく、海水がしみ込んだ土地は沼のような状態になっていました。


            田老地区のはずれの崖には明治29年の「明治三陸地震」、昭和8年の「昭和三陸地震」で起きた津波による水位、それぞれ示す「15m」と「10m」のプレートが掲示されていましたが、今回の津波はこれをはるかに越すもの。いただいてきた資料によると最大津波遡上高は29mに達したそうです。こんな高さになってしまったら,どうやっても人間は自然現象に打ち勝てないでしょう。
            (ちなみに我が家の10階建てのマンションの高さが約30mです。)

            それでも昭和三陸地震の津波の被害を忘れないように,毎年3月3日に防災訓練を行っているそうです。

            住民の方にお聞きしたら、震災前の3月3日も町を挙げて防災訓練を行い、またその後、3月9日に津波が来襲したが、50cmほどのもので、住民もちょっと気が緩んでいたとお話されていました。
            結局、震災時には前代未聞の津波に襲われ、約200名の方が死亡,行方不明になったそうです。
            自然災害とは人知を遥かに越えるものが起こるということですね。 


            田老地区の漁港は再建されていました。しかし、この地震で約50cmほど地盤沈下をしてしまい、大潮になると水浸しになるそうです。
            コンクリートの護岸はずれてしまい、波が押し寄せるとそこから水しぶきがあがっていました。
            訪れた時期は鮭の季節。目で見てもわかるぐらいたくさんの鮭が悠々と泳いでいました。
            波が高くなるとこのコンクリートの上に鮭が上がってくるそうです。


            1時間ほど町のなかを歩いて見ました。海よりの平坦地は津波で壊された建物が少し残っていますが、ほぼ真っ平ら。
            海から三陸鉄道の田老駅までの間、仮設のコンビニ、クリーニング屋、ガソリンスタンド、釣具屋っぽいいもの以外、店は全くなく、町の中を歩いてるのは工事関係者ばかり。人の生活を感じさせる物がほとんどない状態でした。家を失った住民の方々はここから車で10分ほどの高台の仮設にいらっしゃるそうです。


            三陸沿線の住民の重要な生活の足として走る第3セクターの三陸鉄道も甚大な被害を受けたました。宮古から久慈まで走るこの「北リアス線」は久慈ー陸中野田間が震災後5日の3月16日に復旧。3月20日に宮古ー田老間、田老ー小本間が3月29日にそれぞれ復旧しました。それでも小本ー陸中野田間は未だ不通。盛から釜石を走る「南リアス線」は全線が未だ不通です。それでも108億円の予算がついて2014年に全線復旧をめざしています。


            この日、田老駅にはたくさんの乗客が降りてきましたが、どうも被災地を見て回るツアーのようでした。駅を降りた乗客達は観光バスですぐにどこかに向かって行きましたが、ここで降りてもなにかを食べたりモノを買ったりする施設がなにもないんですね。
            写真は田老駅にある観光センター。
            ここも津波の被害を受け、現在は閉鎖されています。
            いまの状況がすぐに変わらないようであれば、被災地を訪れる人がたちがなにか協力できる仮の施設が駅の近くにあれば微力ながらも訪れた人たちが協力できるような気がします。



            今から20年前、女子美の学生達が防潮堤に絵を描きました。今回の震災でもその絵はひとつも欠けることがなく、年月で多少は色あせていても、しっかりと残っていました。現場でお会いした宮古市議の方のお話だと、住民の一斉高台移転を含めて、一部崩壊してしまったこの防潮堤の今後も未定だそうです。
            確かに今回はこの防潮堤をはるかに越える津波だったかもしれませんが、過去の大津波では被害を未然に防いだ事もあります。また、田老地区から北にあがった譜代では防潮堤のおかけで津波の被害はほとんどなかったそうです。
            自然災害に対してすべての被害を抑える事は不可能でしょう。
            でも、それに対してひとつひとつ知恵を絞って考えて行く事は大事です。

            こんな現実を目の当たりにすると真っ暗な気持ちになってしまいますが、現地でお会いした方々はとても明るく前向きでいらっしゃったことにホッとしています。

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